ブランドとは何かを考えるのに最適な1冊

最近はすっかり紙の本を読まなくなってしまったが、とても印象に残っていて、人に薦めている本がある。ナンシー・ケーンが書いた「ザ・ブランド」(樫村志保 訳 /2001年 翔泳社刊)という本である。僕はこの本を読んで、ブランドを作り上げた起業家たちの人生に深く感銘を受けた。そのことについて少し語ってみたい。

サブタイトルに惑わされてはいけない

この本のサブタイトルには「世紀を超えた起業家たちのブランド戦略」とあり、そういう記述も確かにあるのだが、僕が感じる本当の面白さは、彼ら起業家たちがブランドを立ち上げるにあたって経験した、果てしのない悪戦苦闘であり、次々と繰り広げなければならなかった試行錯誤の数々であり、思いがけずに転がり込んできた幾多のチャンスであり、それらが渾然一体となった、いわば先の見えない人生の物語である。そして、さらに興味深いのは、ある意味での彼らのクレージーさなのだ。

扱われる起業家は以下の通り。それぞれのブランド名と対象領域を示す。

ジョサイア・ウエッジウッド(陶器)=「ウエッジウッド」
H・J・ハインツ(加工食品)=「ハインツ」
マーシャル・フィールド(百貨店)=「マーシャル・フィールズ」
エスティ・ローダー(化粧品)=「エスティ・ローダー」
ハワード・シュルツ(コーヒー・バー)=「スターバックス」
マイケル・デル(コンピュータ)=「デル」

最近の若いブランドは含まれないが、それぞれ世界的に大変よく知られたブランドばかりである。

ブランドの成長にはタイミングこそ最も重要だ

当たり前と言えば当たり前なのだが、事業のステージをステップアップさせるときに最も重要なことは「タイミング」なのだということを裏付ける事実が、この本の中にいくつも出てくる。以下に3つばかり、事例を紹介しよう。

産業革命のチャンスを捉えたウエッジウッドの「実験帳」

ジョサイア・ウエッジウッドは、産業革命によって与えられたチャンスを最大限に活かした。産業革命の時期、製陶業は大幅な技術革新の時期にあった。ジョサイアは20代半ばですでに、製陶業で成功するには、新しい生産技術の知識と、この頃台頭してきた消費者の刻々と変化する欲求を先取りするアンテナが必要だと理解していた。

それは常に新たな製品の開発を迫られることであり、ジョサイアは日々実験を繰り返していた。かれは実験で得たデータを「実験帳」と名付けたノートに記録していて、そのデータは終生書き続けられ膨大な数にのぼった。この「実験帳」の精神があったからこそ、ジョサイアは産業革命という産業と社会の大幅な変化を的確に掴み、製陶業の向かう先を見通し、自己の事業の基礎固めができたに違いない。

鉄道網の拡大をセールスに活かしひたすら動き回ったハインツ

ヘンリー・ハインツはその事業の草創期に、鉄道の発達に合わせてセールスの範囲を積極的に拡大していき、米国全域に顧客を広げている。当然製品の運搬も全国的な鉄道網の発展に支えられていた。鉄道網の発展をいち早く捉え、そのタイミングで営業網を拡大していったことは、その後のハインツの発展に大きく寄与した。

ヘンリーのセールスパワーはすさまじく、1875年のある三日間でピッツバーグからフィラデルフィア、ニューヨーク、ボルティモアまで足をのばし、スケジュール帳は商談でびっしり埋まっていたという。この行動力は、当時の移動に要するスピードを考えると、まさにクレージーと言っていいのではないだろうか。

パソコン市場拡大を捉え、販売方法の革新で成長したデル

マイケル・デルの事業拡大のタイミングは1970年代に始まったパソコン市場が1980年代に爆発的に拡大した時で、いち早く販売方法の盲点に着目し、新たな販売の方法を生み出して、競争相手のいないところでそれを成功させたことだ。

マイケルは、16歳の頃からパソコンの分解・組み立てを楽しみ、一方で新聞の購読勧誘ビジネスで有能なセールスの才能を発揮していた。技術とセールスの両面に通じていた彼は、急激に盛り上がったパソコンの需要に対し、販売方法が根本的に間違っていることにいち早く気づいた。

彼が発見したのは、真にパソコンが大衆の使える道具になるためには、操作情報・顧客サポート・低価格パソコン、の三つを適切に提供することが不可欠だと言うことだった。その認識に基づいた新事業は、パソコン市場急拡大のタイミングにうまく乗り、デルコンピュータ成長の出発点になった。

タイミングをキャッチするのに、それぞれのブランドの成長過程で、どのようなドラマがあったのか、この本は多くのことを教えてくれる。

優秀な起業家は優秀なトップセールスマンでもある

このことは僕が常々主張していることでもある。実際、成功している起業家は、営業センスにも天才的なものを持っているものだ。併せて資金調達を成功に導くのも営業マインドなのだ。

逆境にも断固としてあきらめないエスティ

エスティ・ローダーが、先行の大手化粧品会社を向こうに回し、値崩れを防ぎながら、高級品のイメージを確立するため百貨店への食い込みを画策した時のことだ。

1948年、高級百貨店サックスに狙いを定めて売り込みにかかるが、化粧品売り場には有名ブランドが既にひしめいていて、バイヤーに必要ないと断られてしまう。しかしエスティはあきらめず、自身が出席したチャリティ昼食会のギフト用に自社のリップスティックを提供。昼食会の招待客はその商品の目新しさに注目し、サックスにそのリップスティックを求めてやってきたという。つまり、エスティ・ローダーの商品の魅力を実証し、サックスも取引に応じざるを得ない状況を作ったのだ。

エスティは、同様に百貨店のニーマン・マーカスでも、既に飽和状態だった売り場に食い込むため、商品の準備を競合に対して圧倒的な速さで行い、百貨店バイヤーをして「意志の強いセールスパーソンで、断固としてあきらめない」とまで言わしめている。まさにトップセールスの鑑のような人物だ。

たった1割の共感者の出資に賭けたシュルツ

スターバックスのハワード・シュルツの逸話もまた、すさまじいものがある。1986年、彼は事業拡大の為の資金集めに奔走していた。しかしコーヒーを単なる商品から、品質・サービス・人とのつながりを想起させるブランド品に変えるという計画に、ほとんどの人が興味を示さなかった。彼は結局242人に接触し、そのうち217人に投資を断られている。つまり、投資を依頼した全体の1割にしか、賛同を得られなかったのだ。この事実からすれば、普通なら懐疑的になってあきらめるところだろう。それでもなおしぶとく交渉し、165万ドルの資金調達に成功しているのだから、シュルツの決してあきらめない粘り強さは常人を遙かに超えているし、営業センスは天才的だったのだ。

幼少期から天性のセールスマンだったマイケル・デル

マイケル・デルの生家の食卓では、常々経済的な話題が話されており、マイケル自身「ビジネスチャンスに敏感になる」と言っている。マイケルは、小学二年生で同級生にキャンディを売っていたという。さらに、12歳で切手の収集に目覚め、切手の売買も始めた。その小さなビジネスは、近所の人々の所持する切手の委託販売を手がけるまでに発展した。

16歳には新聞の購読勧誘ビジネスに手を染め、顧客のセグメンテーション手法で効率的に大金を稼いだ。一方で、パソコンに興味を持ち、中古マシンを購入しては改良するということを始め、大学1年生でパソコン組み立てのビジネスを始めた。

その彼が、急激に発展したことで混乱が進展しているパソコン業界の状況をチャンスと捉え、注文生産のビジネスモデルを作り上げた。これこそ、幼少期から経済に親しみ、販売の経験を積んで、パソコン業界の表も裏も肌で感じてきたマイケルの、鋭い洞察が生んだ他にないパソコンの売り方であり、デルというブランドを確立した基礎となったのだ。

ビジネス書と言うよりも人生のドラマが詰まった物語と考えよう

約500ページの大著から、少しばかり、内容の紹介をしたが、ブランドを確立するまでの起業家の人生は、まさに波瀾万丈で、危機の連続だ。その危機をどのようにして乗り切ったのか、そこにはある種のスリルとサスペンスのドラマがある。下手な小説を読むよりもよほど面白いし、整然と理論化されたブランディングについてのビジネス書を読むよりも、現実に生きた人間の必死の息吹が伝わってきて、ブランドとは一体何なのかを考えるひとつのきっかけとなる。何かに情熱を燃やす人生の、一つの指針としても読んでもらいたい本だ。